By Myra Lewin
私たちのレギュラーゲストである妻に促されて、私たちの元に一人の男性ゲストが滞在しました。それまでの彼は、肉やスパイシーな食事を食べ、アルコールを飲み、やること見ることが満載の忙しいライフスタイルを送っていました。たった一週間、朝の練習に参加し、アーユルヴェーダ式の食事を食べ、自然界のサットヴァな環境に囲まれることで、彼は驚いたことに10歳は若返った感じがすると言いました。
アーユルヴェーダとヨガを通じた回復の可能性は見事なものです。私たちのゲストが発見したように、何を食べるか、どのように生活を送るか、どこにフォーカスするかといったシンプルなことを調整するだけで十分に、その人が生きている中で新しい経験を見つけることができます。多くの場合、その人の健康と内なる平和を阻害しているものを取り除くだけで十分です。そのことによって感覚を賢く使い、真の健康への旅路を始めることができるのです。
感覚を扱うことを学びましょう
ヨガとアーユルヴェーダの文献では、感覚を賢く使うことの重要性を説いています。この感覚というのは西洋医学ではほとんど話題に上りませんが、感覚を正しく使うことで、パワフルな癒しを得られ、人生との新しい関係性を築くことができます。
五感である、味覚、触覚、嗅覚、視覚、聴覚は、私たちに与えられたギフトです。それらは、私たちが人生を経験することを可能にしてくれます。しかし、地球上での経験に対して、人生には限界がありません。私たちが感覚を誤って使えば、私たちが身体を通して経験していることがすべてだと信じてしまいます。
感覚を引き起こすモノに執着して人生を定義づけている人が多すぎます(その感覚を引き起こすモノとは、食べ物や音などのことです)。人生は、享楽的な食事をしたり、暴力的でスリリングなテレビ番組を見るだけではありません。実際に、混乱を起こすような経験に背を向け、穏やかな感覚を持ったとき、あなたの人生への解釈は、それまでに思っていたよりも大きなものになります。私たちが感覚を抑制しているときは、人生はよりシンプルで喜びに満ちています。なぜならそれは、あなたが永遠なる魂として、より深い経験をするための道を開いてくれるからです。
病気と感覚の乱用
感覚の乱用(asatmya-indriyartha-samyog アサトミャ・インドリヤールタ・サンヨーガと呼ばれます)は、病気の主な原因の一つです。乱用は、使いすぎ、活用しないことや間違った使い方によって起こります。例えば、私たちは一度に食べ過ぎたり、頻繁に食べすぎることによって、味覚という感覚を使いすぎることがよくあります。これは例えば拒食症のように、私たちが食事やそれを使って自分自身をコントロールすることを否定して、ダメージを与えることと同じになります。
感覚が抑制されないままに動くと、私たちは人生の中で感覚に引き回されてしまいます。もしあなたが「ノー」と言いたいときに、あなたの感覚が「イエス」というように主張しているという経験をしたことがあるとすれば、そのとき感覚があなたの決断を乗っ取っていたことになります。結果として、あなたは衝動的に振る舞い、ドーシャの不調和やama アーマ(毒)をもたらす害のある食べ物や経験を選択したかもしれません。これは、永遠の魂であるあなた自身との分裂をもたらし、人生を充足感を外側に求め続ける疲労困憊するものにしてしまいます。うるさい音楽、化学的に作られた香り、性的なエネルギーの乱用、SNSを一日中見る、など常にあなたの意識を外側にばかり向けていると、あなたの本来の姿を忘れてしまうでしょう。このことが、病気や不調和の方向に向かわせます。しかしpratyahara プラティヤハラのプラクティス(練習と実践)はその状況を改善します。
プラティヤハラ:感覚を制御する
感覚を制御するプラティヤハラでは、外界の欲望から感覚を引き戻し、正しく役に立つ場所に置くことができます。
感覚を制御することは、決して洞窟に住まないといけないということではありません。シンプルに、 viveka ヴィヴェーカ(識別力)を実践することなのです。プラティヤハラは、スピードを緩め、あなたの意思決定の過程をよく見ることを求めています。なぜあなたは、砂糖の入ったものに手が伸びるのですか?なぜその人とのセックスに引き寄せられるのでしょうか?飛び込む前に、一旦立ち止まって、あなたの感覚が決定を下していないか、自分自身に問いてみましょう。
プラティヤハラは、抑制とは異なります。欲望を抑制することは、より強い執着につながってしまいます。プラティヤハラは、あなたが養いたいものに焦点をあて、それと一体となって行動することで、感覚の乱用に背を向けることです。そうすることで、あなたが一番興味があることにおいて選択をする力が強まり、心の活動から自由になります。
プラティヤハラを養うツール
ほとんどの人が自分の感覚を扱うことを学んだことはありません。だからこそ、私たちは感情に促されるままに人生を送ってしまうのです。結果として、人々はすべてのレベルにおいて刺激に圧倒されてしまいます。しかしながら、あなたはいつでもそれを変える選択肢を持っています。
瞑想はプラティヤハラの最も良いツールのうちの一つです。なぜなら、座って瞑想をすることは、あなたの感覚を内側に向けられるからです。たとえ一日数分でも瞑想することで、あなたの中にプラティヤハラの種を植えることができます。このことは、あなたのマインドと感覚を内側に向けるトレーニングにもなりますし、あなたの成長する精神とつながるツールにもなります。
バランスと調和の取れたsattva サットヴァに向かう快適でバランスの取れた方法で、あなたの感覚をつかうことによって、瞑想以外でもプラティヤハラの練習ができます。そのことで、体を搾取することなく体の中にいられるようになります。例えば、一度に使う感覚の数を減らすこと(言い換えれば、マルチタスクを避けること)です。感覚を使うときには、それを自覚して使うこと。食べているときには、食事を味わうこと、しっかりと噛むことに焦点をあてましょう。食事中に何かを読んだりテレビを見ることは避け、会話も最低限にして、どのように感じるかをみてみましょう。ヨガのアーサナ中は音楽をかけないようにし、シャヴァーサナ中はアイピローやブランケットを耳にあててください。人やものに触るときにも、注意を向けましょう。ドアを閉めるという行為のときでさえも、注意を向け優しく閉めることで、あなたの感覚にサットヴァを養えます。
ヨガのアーサナ中は音楽をかけないようにし、サバーサナ中はアイピローや ブランケットを耳にかけてください。人や物に触れるときは、丁寧に行いましょう。ドアをそっと閉めるだけでも、あなたのサットヴァを養うことができます。
プラティヤハラを通してハイヤーセルフとつながる
あなたがプラティヤハラを練習すればするほど、あなたの生きる上での経験が臓器で感じる感覚を超えて見えてくるようになります。あなたの感覚を阻害するものに背を向け、あなたの内側に向かいましょう。あなたは自分自身が体の中にある精神であることに気がつくでしょう。あなたが本来の自分を少しずつ覗く度に、それまであなたの心を捉えていたモノから遠く距離をおくようになります。あなたの感覚との新しく自由な関係を発展させるとともに、感覚があなたの精神の発展に貢献するためにあるのであって、その逆ではないということがわかってくるでしょう。