「食べものは薬」 ということの本当の意味

By Myra Lewin

 
 

​子供の頃、私はとても小さなキッチンの家に大勢で住んでいました。母が料理をしている間は、そこには子供はひとりしか入ってはいけないというルールがありました。ですから、自分がその番の時はいつも特別感を感じていました。7人家族のための食事の準備の手伝いは、アーユルヴェーダを学ぶとともに大きくなった健康や家庭料理に対する強い関心を築いた理由です。

アーユルヴェーダでは、「食べ物は薬」と言います。なぜなら、食べものと同じくらい栄養素を与え、癒し、コミュニティーをひとつにする力(例えそのコミュニティーが小さな台所で親子が料理を一緒にするということであったとしても)を持っているものは存在しないからです。アーユルヴェーダを勉強するとき、全ての食べものが、個人の体質によって、健康へ近づけたり遠ざけるという明確な特性を持っているということを学びます。しかし、アーユルヴェーダは全ての食べものが平等ではないということも教えてくれます。プラーナで満たされ、消化に効くスパイスを使って優しく調理され、そして、サットヴァ的な住居環境下で出される食べものが、私たちの求めるべき薬です。

近年、冷凍食品や出来合いの食べもの、または、外食を通して、手軽さや楽しみのために食事をするようになり、それは、本当に健康を自分の手に入れるための日々の料理というシンプルな行動と置き換わってしまいました。恐らく、この自分自身の食べものを準備するということへの距離感(とこの変化に伴う健康問題)が、今、多くの人がアーユルヴェーダに興味を持つ理由でしょう。

​アーユルヴェーダ料理: 最古の処方薬

食べものは薬になるようになっています。自分の食事を作るとき、これは2つの方法で引き起こされます。1つ目は、愛のエネルギーを食事に注ぐ時です。これが、Hale Puleで調理を開始する前にグラウンディングを行う理由です。愛のエネルギーによって導かれながら調理することを選ぶのです。2つ目は、何をどのくらい食べるのかを選ぶためにviveka ヴィヴェーカ(自身の識別)を使うときです。注意散漫、または、ふらつきを感じるときは、バスマティ米の玄米などのヴァータを落ち着かせる 穀物を用いて食事を作ることができます。もし体内で熱が高まり過ぎていると気づいたならば、きゅうりやミントなどのピッタを減らす 食べものを加えることができます。これらは、他人の誰かがメニューを作るレストランでは簡単に行うことのできない選択です。

私は、料理経験の様々な段階の人たちと仕事を行います。多くの人は、何年も料理をしていなかったけれど、より良くなるために何かを変える準備のできている人たちです。いつも料理をしているけれど、いつもレシピに従って作っているという人たちもいます。ですから、そこで私が冷蔵庫の中や庭にあるものを使って料理をするという想像力を働かせることをお教えします。また、私は、キッチンの中での良い機会をもっと知りたいという数多くのアーユルヴェーダ初心者にも教えてきました。これは私たちの基本的な指導でもあり、そうすることで、クライアントへ効果的に助言することができます。アーユルヴェーダでは、食べもののヒーリング力を取り入れたいと願うすべての人に実践してもらうことが可能です。

料理は複雑である必要はないということを覚えておいてください。私たちが完璧という確固たる理想から抜け出したときに、料理は実際に本当に楽しいものとなります。ヴァータを増加させアグニを弱らせる冷たいシリアルの代わりに、 グラウンディングするための朝食おかゆに替えるというようにシンプルなレシピから誰もが始めることが可能です。キッチンでの想像力を少しずつ高めていく中で、私のクライアントたちは良く作った料理の写真を送ってくれたり、体重が整ったり、肌が綺麗になったり、マインドが落ち着いたという話を聞かせてくれます。それらは、アーユルヴェーダ的方法を用いて料理をすることによって導かれる結果です。家で自炊することは、食費を抑えることにもなり、人々に身体が本当に必要なものを食べることを可能にしてくれます。

より多くの人がアーユルヴェーダ料理の素晴らしさや楽しさを再発見することで、身体が癒されるだけではありません。ひとりであろうと友達や家族と食事をしていようと、私たちは食卓でひとくち毎に愛をシェアし繋がることができます。なぜなら、これが薬であり、時にはこれが私たちに最も必要なものだからです。

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