アーユルヴェーダ&ヨガのルーツを維持する

 
 
 
 

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みなさん、こんにちは。Hale Puleのポッドキャスト「Everydayアーユルヴェーダ&ヨガの」マイラです。

最近、パンチャカルマ やドーシャのバランスを取ったお客様で、素晴らしい体験をされた方がいらっしゃいます。ヴァータ・ドーシャが落ち着いたとき、まるで目が覚めたかのような体験を人々がするのを見るのが、私は大好きです。まるで生まれ変わったようだと、みなさんよくおっしゃいます。また、ピッタが落ち着くと、小さなことにこだわらないほうがいいことがわかりますし、せっかちになり怒るのではなく、平和に人生を歩むことができるようになります。

この目覚めを経験したパンチャカルマのゲストたちは、私たち一人ひとりが変容を遂げていく様子を思い出させてくれます。世代ごとに変わりゆくものがあります。しばらく生きていれば、過去の良いところ、新しいものの中にもいくらかの良いところを発見するでしょう。しかし、ネガティブなことがたくさんあるように見えると、それにばかり気を取られてしまいがちです。最近のメディアは、私たちに多くのネガティブな情報を与えています。それに対して人々が恐怖心で反応すると、ネガティブな要素が大きくなってしまいます。でも、それが目を覚ます良いきっかけになる人もいるかもしれません。

心身ともに健康を害する人が増えていることは、経験者の多くが認めるところでしょう。何が起こったのでしょうか。肉体的、精神的に外へ向かうことが多くなり、霊的なつながりが希薄になったのです。私たちは自分自身を信頼しなくなり、自然から切り離されたように感じています。

20世紀には、主流の宗教からの移行がありました。人々はより自由で、規則や罰の少ないものを探していたようです。それ以来、数世代にわたって、精神的にどこにも行き場がなく、多くの人が迷いや空しさを感じています。物質的なものでは大して満足できず、健康が損なわれるともっと絶望的に思えてきます。

多くの人々は、組織化された宗教の教義から逃れることで自由を感じましたが、より高次の自己への精神的なつながりを養うために何のツールも持たない私たちは行き詰まりを感じました。食べ物や、買い物、交際、仕事、薬物、アルコールなど様々な方法で空隙を埋めようとしました。このように、自分の外側に焦点を当て、人生のすべての答えを見つけようとする中で、多くの人がより深いものを求めるようになり、その結果、ヨガやアーユルヴェーダへの関心が高まりました。

どん底に落ちたら、あとは上がるしか道はありません。そして、これはある種の目覚めなのです。

20代の人たちが、かつては60代から見られたような大きな健康問題を抱えていることに気づきました。しかし今、若い人たちが自分のやり方を変えたいと思うようになってきています。なぜなら、常に気分が悪いのは不自然なことで、もっと他に可能性があることに気づいたからです。多くの人が経験する身体的、精神的な苦痛の根底には、最も内側にある自己とのつながりの欠如があります。それは、魂とのつながりです。

人々が痛みを解決するための新たな選択肢を探していることは、とても勇気づけられることです。ヨガとアーユルヴェーダは、答えと解決策を探すために、私たちの内側を見るように導いてくれます。明確な知識と自分自身の真実に導かれれば、ヴィヴェーカ、つまり識別力が養われ、意識の光が広がっていきます。こうして、私たちは真の自由を見つけることができるのです。これとは反対に、選挙で選ばれた指導者や企業、医師など、外部の情報源が答えを持っていると信じることは、闇(タマス)の中に深く入り込んでしまいます。

サンスクリット語でバランスと調和を意味するサットヴァを育み、ハイヤーセルフ(高次の自己)と内的につながることで精神的な幸福を追求するとき、光を取り込み、変容を生み出すことができるのです。目覚めです。

ヨガとアーユルヴェーダの、核心はシンプルです。暗闇に光をもたらすこと、これを意図しています。私たちの過剰に活動しすぎる心を満足させるために、実践はしばしば複雑になっています。あらゆるレベルで人生に癒しと改善をもたらす方法は、実にたくさんあります。しかし、これらの科学の本当の目的を見失い、実践の技術的な部分だけに同調してしまうと、混乱と苛立ちをもたらすことになります。そして幻滅さえも。 その代わりに、私たちは本来の目的に留まることもできるのです。それは、私たちが自分自身を永遠の魂であることを思い出し、甘やかで充実した人生を送るためのものです。

シンプルであること、そして、意識的に自分自身を目覚めさせる実践を行なっている先生や実践者とともに誠実に取り組むことが大切です。また、それは一個人としての旅であることも忘れてはなりません。私たちの先生や実践、ツールは、私たちの体験をサポートするためのものにすぎません。真の自己を直接体験することで、私たちの中でより広い視野に目覚め、人生の戯れの中での自分の役割を実際に見ることができるような変容が生まれます。

アーユルヴェーダとヨガの科学は、その核となる部分が変わることはありません。その核心に本当に触れるためには、ホリスティックなアプローチと精神的基盤を維持しなければならないのです。ヴェーダとのつながりです。これこそが、大きな癒しと目覚めをもたらすものであることを私は見てきました。それぞれの人の解釈によって、これらの科学の大衆への有用性が高まったり、癒しの力が弱まったりすることがあります。しかし、アーユルヴェーダやヨガの解釈が浅いと、人々はもっと知りたいと思うようになります。 私たちが自ら深く潜るとき、これらの科学の知恵は私たちのために常に在ります。

アーユルヴェーダやヨガの文献は、もともと英語ではなくサンスクリット語で書かれているので、翻訳には多くの難点があります。私は多くの日本人の生徒さんにアーユルヴェーダやヨガを教えているので、複雑な思考をある言語から別の言語に翻訳することの難しさを痛感しています。内容を個人がどのように解釈するかは、とても重要だと感じています。私はこのことを考慮して、日本の生徒さんへの指導や通訳の人選を行っています。アーユルヴェーダやヨガを学ぼうとするときにも、同じことが言えます。教えを本当に体現し、文献のニュアンスを理解し、ホリスティックで個人的なアプローチの重要性を理解している先生やプラクティショナーを見つけること、 つまり背景を理解していることが最も重要です。

ヨガやアーユルヴェーダの文献には膨大な叡智が詰まっていますが、それを文字通りに受け取ると、混乱や 不明瞭さが生じます。なぜなら、議論や説明は個々の状況に基づいており、どんな状況にもそのまま適用できるような一様なものではないからです。いくつか例を見てみましょう。

アーユルヴェーダの古典の一つである『チャラカ』には、「裸足になるな。」という文章があります。インドにはコブラをはじめ、生命を脅かす多くの生き物がいます。多くのヨギーは、大地の上で裸足になることは、若返りや大地のエネルギーとつながるために良いことだと感じています。これは、大地に有害な化学物質がないことが前提です。また、毒蛇や毒生物による生命の脅威がないことが前提であることは言うまでもありません。

また、『チャラカ』には、ヴァータが非常に悪化しているときに肉を食べることについて書かれています。その後に、肉を食べることを勧めるのは純粋に科学的であり、エネルギーを見ていないからだ、と書かれています。このように、本文中には状況によって矛盾があるのです。

最近のヨーガのトレーニングでは、ヴァマナ(コントロールされた嘔吐)が誰にでも行われることがあります。これは、個人とそのニーズを考慮していません。つまり、この実践を誰でも同じように一律に適用してしまうのが現代的なアプローチなのです。元々、ヨガは先生と生徒が一対一で教えるものでしたから、その人の健康状態やコミットメントのレベルを考慮して練習をするものでした。アーユルヴェーダも同じで、その人の人生や必要なことを考えながら、その人の状態に合わせて原理を適用していくことが必要です。 

もう一つ、例を挙げましょう。

「果物は最もサットヴァな食べ物なので、ヨギーは果物をたくさん、あるいはそれだけを食べなければなりません。」という部分があります。あるクライアントが、この一般的な指示に従って、寒い冬に長期間、果物だけを食べてヨガの上級トレーニングを受講したそうです。その結果、ヴァータとピッタのバランスが大いに崩れ、肉体的にも精神的にも大変な苦しみを味わいました。そのため、回復するまでの1年半の間、トレーニングが遅れてしまいました。

2枚の紙やガラスの間という表現は、骨盤を広げるように脚を伸ばすという意味の解釈でした。股関節を最適な可動域を超えて横に向けるとは一言も言っていません。このことが、三角形のポーズであるトリコーナーサナや、戦士のポーズであるヴィラバドラーサナBまたはII、半月のポーズであるアルダ・チャンドラーサナ(半月のポーズ)などのポーズの誤解を生んでいるのです。解釈を取り違えると、これらのポーズの本質とパワーを取り除いてしまいます。ポーズのポイントである本質を見失うと、怪我をしたり、練習を後退させたりしがちです。これはアヒムサ(非暴力の実践)ではありません。

プラクティショナーや先生を探すときは、学歴や資格の有無だけでなく、その人が提供するものを支えるエネルギーが実質的であるか、あなたが求めているものと一致しているかを見てください。紹介は、あなたに適した実践者や先生を見つけるための素晴らしいツールです。また、彼らの文章やウェブサイトを見れば、彼らの姿勢や アプローチをある程度知ることができるはずです。

その他にも考慮するべき点がいくつかあります。

  • 自分が納得でき、かつ自分にとって課題を与えてくれるような先生を見つけてください。人柄だけで行くと失敗することが多いです。

  • 自分よりも道を歩んでいる人を探しましょう。自分より長く練習し、勉強している人は、通常、より深いレベルにあることを示しますが、常にそうとは限りません。あなたが望む深さを持っている先生を認識し、一緒に取り組むことで、エゴの尖っている部分をそぎ落とし、意識を成長させることができるのです。資格の有無ではなく、その人が人生の中でどのように教えを体現しているかが重要なのです。10年後、20年後に自分がどうなっていたいかを表していますか?

あなたが個人的な目覚めを歩むとき、あなたにとって最高の教師は、あなたのハイヤーセルフつまり高次の自己であることを思い出してください。あなたが学んでいることを、内側に向けましょう。自分自身の直接的な経験を通じて学べば、自分が学んだことを決して忘れることはないでしょう。

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