最近慌ただしいですか?
電気をつけっぱなし?立ったまま食べてますか?オンラインで買い物しながら食事してる?車の鍵を失くしたり?
お休み中にはすることが一杯です。楽しいことが沢山あり、 大好きな人達にも会うでしょう、イベントに出かけたり、計画しなくてはならない食事のプランがあったり。でも、予定がとても詰まったスケジュールでは、あなた自身、もしくはみんなを満足させるために、おそらく毎日慌ただしく過ごし、やることがたくさんある、と感じることでしょう。慌ただしい、というのはいい感じがしませんよね?
忙しくする、というのは avidyaアヴィディヤ (錯覚、空想、無知)に基づいた習慣です。
あなたが満たされたと感じられる安らかな場所、満たされた人生を送れる安らかな場所が将来的にはあるという錯覚なのです。理想の状況が手に届くところにあると想像しながら、でもまずはやる事リストをこなさなくてはなりません。もし、今日中にA、B、Cをどうにかやり遂げたら、すべてが良好。でも、このリストには決して終わりがないのです。
なぜなら、このリストこそが人生なのですから。
常にもっと沢山する事があり、もっと経験する事があります。その瞬間瞬間を急いでいては、「今」というギフトから引き離されてしまうことになります。 心があなたから離れて先に行ってしまう、つまりは心を想像上の将来に置いている時は、samtosha サントーシャ(満足、知足)の正反対になります。
食事をかき込むと、その結果、agni アグニ(消化力)を弱め、栄養素の吸収障害、細胞組織の劣化に繋がります。あなたの毎日を急いで終わらせるのは、人生を半分だけ生き抜き、半分だけ味わい、半分だけ消化するようなものです。唯一無二の様々な経験(経験一つひとつが唯一無二なのです)が無駄になり、今の生活から無くなり、それを二度と味わえなくなります。
急ぐ、というのは、rajas ラジャスが過剰な状態です。
ラジャスは、そこに存在しているという状態よりも、むしろ何かをしているという状態です。それは行動のエネルギーであり、私たちを動かす火でもあるのです。もし、あなたが絶え間なくラジャスの状態にあるのなら、やがてtamas タマスの状態に行き着くでしょう。
では、急ぐという衝動の根底にあるものは何でしょう?
それは大抵、あなた自身がまだ十分でないとか、自身がどういう訳か不完全だとか、標準に達していない、という簡単な誤解なのです。この誤解が、あなたの価値を自分自身や他者に証明するために、人生で何かを絶え間なくやり遂げるという衝動に導くのです。しかし、他者から認証されることは 、 自分にはあまり価値がないという、慣れてしまった不正確な不足感を一時的に満たすだけでしょう。
さらにもっと何かをするということが、いつかはあなたをより完全な人にしてくれるという訳ではありません。大抵、あなたと時間との関係は不足が基になった関係となり、何か沢山与えられて圧倒されるような気分になるでしょう 。常に、もっとする事があるのです。そして、常に、それらをこなす十分な時間が無いのです。またもや、これはアヴィディヤ (錯覚、空想、無知)です。あなたの時間との関係は、あなたの認識次第なのです。
一瞬のうちに決断する
もし、あなたが何かをする、というよりもむしろその瞬間に存在することに決めたら、もし、あなたが、一つひとつの経験を味わい、消化することを決めたら、時間は潤沢にあるという事に気づくでしょう。。。
。。。なぜなら、「今」に満足し始めるからです。そして、喜びを経験することを自分に許可する「輝かしい将来の状態」を得ようと努力するよりも、「今の満足した状態」に弾みがつくのです。
では、どのようにして急ぐという衝動を断てばいいのでしょう?どのようにして、既にこれが目的地だと分かっているこの瞬間に辿り着けるのでしょうか? どうやって自身の完全性を覚えておけるのでしょう?
Sattva サットヴァ(バランス、調和、純粋性)を育む事から始めましょう。
毎朝、15分くらいの意識的な呼吸か瞑想で心をスッキリさせましょう。それから、あなたにとって何が重要かについて意図をはっきりとさせましょう。どのような気分になりたいかをまずは良く考えます。バタバタ感、それともゆったり感?急かされる感、リラックス感?困った感じ、楽しい感じ?そして、そこからあなたの意図を支える態度で活動し、あなたの1日を進みたい方向に向かわせるのです。
1日を過ごすうえで、今この瞬間の価値をいつも気に留めておきましょう。人生とは単にそれなのですから。今この瞬間。毎日の自分に課す務めは、甘美さを持って終わらせましょう。ありふれた日常にも 、目下の務めをよくやり遂げる際にも喜びを取り入れるのです。
いつも、人生の過程を信じてください。起こるべき事はすべて起こるのですから。すべてはここに、この瞬間にあるのです。