ダルマを生きたいと思いつつも、次の一歩を踏み出すのが怖いと思っていませんか?
あなたは、自分の心に従うこと、目的を果たすことを妨げているものを明らかにする準備ができていますか?
ホリスティックな暮らしの知恵をもっと知りたい方は、無料のグローバルコミュニティーにご参加ください。
ポッドキャストの原稿を読む
皆さんこんにちは!Hale Puleのポッドキャスト「Everydayアーユルヴェーダとヨガ」のマイラです。
ここカウアイ島(注:2019年まで、Hale Puleはハワイ、カウアイ島を拠点にしていました。)の夏は、長い一日と夜の明るい星を楽しむための平和な時です。私が住んでいるカウアイ島は空がとても暗いので、宇宙の無数の光の中に簡単に入り込むことができます。毎日、朝の練習前や寝る前に犬を外に連れ出すと、星々と親しみます。
そこで、夜空を見上げるこの瞬間に、今日のポッドキャストのテーマである「ライフ・ワークバランス(仕事と生活のバランス)」について考えました。
仕事とは、私たち一人ひとりがしなければならないものです。それは、家庭で働くか外で働くか、子どもの世話をするか誰かのために働くか、など様々です。
バガヴァッド・ギーターは、人生の目的は正しい行動にあることを示唆しています。バガヴァッド・ギーターの何千年も前にヨガやアーユルヴェーダを生み出したヴェーダは、創造と維持と破壊を含む生命のサイクルについて述べています。
私たちを含め、人生におけるすべては、このプロセスを絶えず経験しているのです。
考えてみれば、私たちはさまざまなレベルで常に新しいものを創造しています。将来のアイデア、次に作る食事、将来の旅行の計画などです。そして、食事をしたり、旅行に出かけたりして、それらを経験をすることで完結するのです。
同じように、私たちはこの肉体に生まれます。私たちは人生経験を経て、肉体は死に、永遠の精神が続いていくのです。
ある物事、例えば特定の仕事など、しばらくの間続き、そしてその仕事は様々な事情で終わりを迎えるかもしれません。あるいは、ビジネスを始め、何年も続けてから、売却することもあるでしょう。これらはすべて、人生の創造、維持、消滅のプロセスの一部に過ぎません。
ですから、このレベルで仕事を見ると、仕事は人生の一部に過ぎないことがわかります。仕事をするのは、義務でもなければ、人生の中で何か余分にこなさなければならないことでもないのです。
仕事があって、仕事の外に人生があると信じる、この罠にはまるのはよくあることです。
しかし、これでは人生の3分の1、つまりほとんどの人が仕事に費やしている時間を、嫌な気分で過ごすことになります。これではあまり楽しくないと思いますし、仕事や残りの人生に満足感を得ることはできないでしょう。
これは気分の良さや満足感を得るために、自分の外に何かを求め続ける、私たちの態度によるものです。代わりに、すべてを人生のプロセスとしてとらえ、内側に目を向けてみたらどうでしょうか?
もし、あなたが仕事を厄介で退屈だと感じているのなら、その理由を考えてみてください。
もしかしたら、誰かが良いアイデアだと思っているから、あなたはその分野で仕事をしているのかもしれません。
親から「この職業しかない」と教え込まれて就職する人もいれば、「親を喜ばせたいから」、または「親を喜ばせないといけない」という不安から就職する人もいます。
私の時代には、自分の子ども、我が子には医者、弁護士を望み、そしてそれは大抵、本人が本当に望んでいた職業ではなかったと記憶しています。
あるいは、本当に好きなことをしても、十分なお金を得ることができないのではないかという不安から、就職することもありました。
ですから、日々をたくさんの行動で満たすことはできても、それはあなたの心が求めていることとは違うかもしれません。
人々が、特に大企業に勤めている人が、誰かのために働くという環境から抜け出して、自分の力でビジネスをしようと熱意を持って始めるのですが、誰かのために働いていたときとまったく同じ姿勢に陥ってしまうのを目にしてきました。恐怖からくる決断、恐怖からくる過労、誰かや何かに支配されているような感覚、これらすべてが私たちの生命力を奪うことになるのです。
多くの人が情熱や充実感を得られるものを探し求めています。
そして、確かに自分自身が望む道に踏み出すことを認めれば、大きな違いが生まれるでしょう。しかし、たとえそうであっても、私たちが日々の生活に持ち込む態度が大切なのです。私たちの信念が、私たちの思考と行動の原動力となるからです。
私は、仕事に対する姿勢についてのカーリル・ギブラン(Kahlil Gibran)の言葉が大好きです。彼はこう書いています:
「仕事とは、愛を目に見える形に表すことです。
もし、あなたが愛をもって働くことができず、ただ嫌悪感をもって働くのであれば、仕事を離れ、寺院の門前に座り、喜びをもって働く人の施しを受けるとよいでしょう。
もし、あなたが無関心にパンを焼くなら、あなたは人間の飢えの半分しか満たさない苦いパンを焼くでしょう。
葡萄を潰すことを恨むのなら、その恨みはワインに毒となって蒸留されるでしょう。
天使のように歌いながら、歌うことを愛さないのなら、あなたは人の耳を昼の声と夜の声から塞いでしまうでしょう。」
つまり、愛が見えるように仕事をすることが、『バガヴァッド・ギーター』で語られている「正しい行動」ということなのです。
これが仕事の指針となれば、「もっとやらなければならない」と不満を持つことはありません。その仕事は、自分を丸ごと感じさせてくれ、満足感を与えてくれます。そして内面的、外面的にも気持ちよくなります。それはとてつもなく素晴らしい感覚であり、私たちはそれを自身に許す必要があるのです。
最近、私たちは、あまりにも急ぎすぎていて、その感覚を味わうチャンスさえも失っています。ですから、私たちの態度が、私たちのエネルギーを方向付け、それが私たちの経験を決定するのです。
これは、どんなときでも100%私たちに責任があるのです。
ヨガやアーユルヴェーダでは サットヴァ、ラジャス、タマスというマハグナによって、私たちがどのようにエネルギーを使っているかを理解し、どうすればエネルギーを思い通りに流すことができるかを考えることができます。
これらの3つのエネルギーはすべての生命に存在しています。私たちの中にも、私たちの心にも存在しています。
ここで、馴染みのない方のために、そして皆さんへのリマインダーとして、少し定義を述べておきます。
タマスは惰性です。人生の闇であり、腐敗です。職場環境では、それは怠惰や、何か違うことをすることへの抵抗、変化への抵抗、不平不満として現れるでしょう。また、新しい仕事をすることへの恐れや、自分の得意分野で視野を広げることへの恐れなど、行動を起こすことを阻む恐れとして現れることもあります。私たちの信念が、この行動を後押しするのです。
ラジャスは私たちの活動です。この活動は乱れにもつながり得ます。物事を成し遂げるためには、適切な量のラジャが必要ですが、多すぎると燃え尽き、タマスとなります。
ラジャスが強すぎるということは、忙しく働くこと、本当の目的のために働かないこと、あるいは、散漫な思考と集中力の欠如、目標の欠如で、ただあわただしく動き回ること、そして、エネルギーが分散されているために、精神的・肉体的な消耗をもたらすような行動です。このような仕事は、人生においてより多くのものを生み出すものではなく、特に、人生においてより多くの愛を生み出すものではありません。
サットヴァはバランスと調和です。軽快さと意識です。職場では、あなた自身も含む全体を考慮した行動として現れるでしょう。それは、世界をより良くするための行動や、職場環境をあなた自身や同僚のために改善する行動、または単にお客様のために何か特別なことをすることかもしれません。または新しいアイデアを思いつき、それをどのように実現するか、自分のエゴを入れずに他人と一緒に考えようとする姿勢として現れるかもしれません。
また、目的意識だけでなく遊び心を楽しむなど、 あらゆることに適度であることが反映されているので、適量の正しいラジャス、言い換えれば、正しい種類のラジャスがサットヴァに導いてくれるのです。
私たちはそれぞれが、ある特定のバランスのマハグナを持って生まれてきます。このバランスは私たちのカルマから生まれ、私たちを取り巻く環境と自らの選択、環境への対応によって形作られます。
家庭での仕事に対する姿勢がどのようなものであったかが、あなたの仕事経験を形成しているのです。あるいは、育った環境での態度に反発している場合もありますが、どちらも運命ではありません。
そこに意識を向けると、人生における自分のエネルギーや反応をどう向けるかによって、さらにそれを形づくることができることがわかるのです。言い換えれば、あなたの態度です。
どんな時でも、どんな状況でも、いつでも自分をサットヴァに向けることができます。
親が働くことを嫌っていて、自分も最初はそうだったとしても、それがどんなものであれ、自分の役割を果たすことを楽しめるように成長することができるのです。
そのためには、ある信念を変えることが必要になるでしょう。私たちの多くは、まず、その信念が何なのかに気づく必要があります。そして信念を変える、と言うことはただ、内なる決意を決める、ただそれだけのことなのです。
ああ、これは問題だ、でもこれは自分が人生に貢献できるチャンスなんだ、あるいは自分が気持ちよく生きる方法を見つけるチャンスなんだ、と思えるようになります。
バランスと調和であるサットヴァに基づいた態度であれば、仕事と生活のバランスをどう取るかという問題は、本当だったら必要ありませんし、それはたとえ嫌いな仕事をしているときでも同じです。
サットヴァの態度があれば、すべての行動、ダンス、そして例え嫌なことであったとしても楽しむことができるのです。
私がヨガを始めた時、何かにつけて文句ばかり言っていたのを覚えています。食器を洗わなければならないことにも文句を言っていました。食洗機を使うのが嫌だったのです。当時は他の人たちと一緒に住んでいました。 そしてある日、ついにヨガの先生から、「皿洗いをヨガの練習にしたらいい」と言われたのです。
その通りにしました。そしたら、本当に人生が変わってしまったんです。
自分がどれだけ不平不満を言っているか、また物事に対して手放すべき信念を持っていることがわかってきたのです。
もしあなたが仕事に対する姿勢を変え、サットヴァの方向に向けた人生に踏み出す準備ができているなら、それをあなたの意図とすることです。それをあなたの目標にしましょう。
自分の体をどのように扱うかと、人生で経験する結果との間が関連していることを理解するのは重要なことです。何を食べ、どのように日々を構成するか、つまり規則正しい生活を送るか否かで、仕事の質が決まり、どれだけの仕事をこなすかの選択も変わってきます。
食事と睡眠が規則的であれば、サットヴァな選択をするのはずっと簡単になります。
私たちが不規則な生活を送り、寝不足になると、サットヴァの方向に向かわない選択をするのは本当に簡単なことです。
私たちはホリスティックな存在であり、すべてが他のすべてに影響します。ですから、バランスと調和に向かって進むことは、あなたの心と体で一歩ずつ、少しずつ進むことを意味し、あなたの魂はその結果に喜びを感じることでしょう。
精神的な面では、目の前にある困難な仕事に挑戦することに感謝の気持ちを見出すことかもしれません。肉体的な面では、デスクから離れ、メールや携帯電話から離れた静かで平穏な場所で意識的にランチを食べることを意味します。
このような小さなことが積み重なり、時間が経つにつれて、サットヴァな行動や自分自身を大切にすることで得られる満足感や充実感を認識し、経験することが容易になり、他人を大切にすることもより容易になるのです。
やがてあなたは、ほとんどのことに新鮮なサトヴィックな態度で臨んでいることに気づくでしょう。
きちんと食べ、体や心、五感を大切にすることは、総じてさらなる健康につながり、その結果、世界により大きな貢献をすることができるようになるのです。
アーユルヴェーダは健康のためのガイドラインを提供してくれますが、それは自己中心的な目的のために気分よく見栄えをよくするためではなく、私たちのダルマ、つまり私たちの目的であり、この人生で実際に貫かれ、私たちのあらゆる行動を決定する、ダルマのために生きるためです。
サットヴァな態度は、自分が互いに依存し合う世界の一部であり、世界には多くの人がいて、あなたが自分の役割を果たすために彼らに頼るのと同じように、他の人も自分の役割を果たすためにあなたに頼っていることを理解することにつながります。
日々の生活の中で、私たちは皆、協力し合って生きているということを考えてみてください。そして、それがうまくいっていないとき、物事が本当に難しくなることがあるのです。
この相互依存の観点から自分を見ることで、自分の目的に気づくことができます。
目の前の仕事を受け入れ、執着しないことで、素晴らしい態度でそれを行うことができ、それが、どんな状況でも正しい行動を取るためのサポートをたくさん与えてくれるのです。
このような性質の仕事はカルマ・ヨガとなり、心のおしゃべりを静めるので、あなたの仕事はより効率的になり、より楽しくなることでしょう。そして、このようなサットヴァな作用を仕事の中で経験すると
それはあなたの人生全体に調和とバランスをもたらし、仕事はもはやただするものではなく、人生を愛として経験する方法となることでしょう。
今日も聞いてくださり、ありがとうございました。
アーユルヴェーダ・トレーニング、ヨガとアーユルヴェーダのメンタリング、アーユルヴェーダのコンサルテーション 、などをご提供しており、活力ある健康への旅をご案内します。 インスピレーションを得たり、私たちの活動についてもっと知りたい方は、InstagramやFacebookをフォローしてください。
それでは、また次回お会いしましょう。
ホリスティックな暮らしの知恵をもっと知りたい方は、月額オンラインコミュニティーにご参加ください。
Hale Pule クラに参加しませんか?アーユルヴェーダとヨガを通じて、共に健康で輝くライフスタイルを築くためのコミュニティスペースです。
仲間と一緒に小さなステップを踏みアーユルヴェーダとヨガの学びと実践を分かち合いながら、共に成長していきましょう!