いかにしてヨガの実践を深めるか

マイラ・リューインより

よく人から「Hale Puleではどんな種類のヨガ をプラクティス(練習と実践)し教えているのですか」と聞かれます。この質問に答えることは、見た目よりも簡単なことではありません。Hale Puleで教え練習している一貫した方法はありますが、私たちが伝えたいのは、ヨガを「正しい方法」で練習することよりも、ヨガはそれ以上のものであるということなのです。ヨガは直接的に神へとつながる道です。そしてヨガの練習は、いかに宇宙とつながるかということなのです。どのように練習するかも大事ですが、より大事なのはあなたのアプローチが一貫しているかということです。

Hale Puleに学びに来る生徒たちは、それまでに多くの先生と様々なスタイルのヨガに取り組んできています。何人かの生徒にとっては、私生活や彼らの仕事にとって役に立っている知恵として学んできたことが、ここでの学びと一列につながりますが、また他の生徒にとっては私たちが教えることが、彼らの知っていることにそぐわないこともあります。

様々な先生からの学びを、いかに意義ある練習に落とし込むかを決めるのは、その人次第です。私自身が30年近く練習を積み教えていく中で、一貫したアプローチをとる生徒の方が進歩が早いことがわかりました。常に様々な方法を試している人々は、求めている深い学びへ辿り着くために苦労しています。エクナット・イーシュワラン Eknath Easwaranの言葉を借りると、「浅い穴をたくさん掘るよりも、1つの穴を深く掘った方がより早く水にたどり着ける」ということです。

​先生と学ぶ方法:伝統的な方法と現代の方法を比較する

伝統的なヨガとアーユルヴェーダの学びの方法は、少人数(理想的には1対1)で集中的に行われるという特徴があります。生徒は一人の先生の側で何年にも渡って学び、教えを得ること、そして学んだことをすべて実生活に持ち帰って吸収することを続けるのです。

現代の教え方では、ヨガの先生と生徒がお互いの名前もよく知らないということがあります。生徒はいろんなスタイルのヨガや経験レベルによって変化するレッスンが用意されたスタジオに惹かれます。それぞれの先生は独自のアプローチの方法を提供していて、それが生徒の心と体に混乱を生じさせます。ときにテクニックが衝突することもありますし、ケガを引き起こすこともあります。

私はヨガを学び教えていく中で、より伝統的な方法に従うようになりました(私自身、教えるのに、その方が好ましい方法だと思っています)。私が最初に学んだ先生は、ベティ・アイラーBetty Eilerです。彼女は気品、練習へのコミットメント(やるという決意)、教え、そして人生の全てを見せてくれました。リチャード・フリーマンRichard Freemanは、教えることの美しさ、哲学、いかに呼吸を行うか、を私に見せてくれました。そして最後に、サンドラ・コザックSandra Kozakは、私が知っていると思っていたことのすべてにチャレンジを与え、ヨガと人生にはもっと多くのことがあることを見せてくれました。私は受け取った教えに感謝していますし、その教えによって自分が学ぶことに集中し、より深くそして早く進むことができました。

あなたがヨガの深淵さについてより学びを広げていく新しい方法を探しているのであれば、意識的に練習することを実践してください。新しいスタイルに移行したり、どんどん違う先生に変えるよりも、あなたの心を高揚させてくれる先生にもっと注意を向けてみてください。そしてその人に十分な期間教われば、その教えがあなたのヨガライフの果実を実らせるでしょう。

あなたに向けたヨガのプラクティス

伝統的なヨガの学びのアプローチにおける大きな恩恵の一つは、1人の先生に教わることによって、あなたに個人に向けた教えがもたらされるということです。あなたがひとつの道に注意を集中させることで、心の混乱はなくなるでしょう。少なくすることによって、より多くを得るのです。

あなたがヨガの実践に集中していれば、心や体の動きによって乱れる ヴァータ・ドーシャは落ち着きます。もしあなたの注意がいろんな先生や練習方法に散乱しているとしたら、あなたはヨガを根拠のないものだと感じるかもしれません。しかし、一旦あなたが誰とどのようにヨガの力強い教えを経験するかを決めたら、強固な土台を築くことができるでしょう。ヴァータが穏やかであれば、明晰さを保ち、あなたの内側の、そして周りの神々とのつながりをより経験しやすくなるでしょう。

​発話された言葉の力

1人の先生と学ぶ方が、何人もの先生と学ぶよりもパワフルであるという理由の一つに、シュルティshruti、つまり「聞くこと」があります。この伝統的な口伝が、ヨガとアーユルヴェーダが何世紀にも渡って教えつがれてきた方法を定義づけています。シュルティは生徒と先生の関係を創り出し、本物の学びの道を構成する要素として欠かせないものなのです。そのことが、ブッディbuddhi、つまり高次の知性を開かせます。なぜなら生徒は、教えを聞くことによって、そこに完全に存在することが求められるからです。事実を学んだり、本を読んだりすることが重要なのではなく、魂から魂への教えを経験することが重要なのです。

シュルティは、あなたが何を耳で聞いたかということよりもはるかに大きな経験です。先生との関係を発展させることで伝達のラインを開くことができるのです。あなたはそれを先生と生徒の間のテレパシーのようなコミュニケーションだと感じるかもしれません。私たちのヨガ・ティーチャー・トレーニングを受ける生徒が来て数週間が経つと、例えばヴィラバドラーサナA(戦士のポーズ1)のときに私が「後ろ足をアジャストして」と言うだけで、彼らが自分でアジャストできるようになります。このようなタイプのコミュニケーションの進展はとても早く起こります。

どのように先生を選ぶか

どんな先生でも、良くも悪くもあなたを形作ります。長期に渡って誰かに教えてもらうことを決意する前に、その先生を知り、その人がプロとしてまた私生活でどのようにふるまっているかをみてみましょう。その人は10年後あなたがなりたい姿を表しているでしょうか?その人はあなたに継続的な成長を与え、いつもあなたのプラクティスや理解を深めるガイドをしてくれるでしょうか?もしその答えが「イエス」だとしたら、その人とともに学ぶことにあなたの時間を費やすべきだと思います。

もしそのようにフォーカスしたアプローチだと退屈してしまうと思ったら、まず6ヶ月間、1人の先生とともに学んでみて、どのくらい深い開放が起きるかをみてみてください。これは、1人の先生のグループレッスンを週に数回訪れ、学んだことを日常の自宅でのプラクティスに取り入れてみることを指しています。もしくは、一対一のメンタリングやプライベートレッスンを受けてもいいでしょう。そして、そのことを日記につけましょう。6ヶ月経った後で、何を書いたか読んでみましょう。フォーカスしたことによって、どんな変化がありましたか?心と体はどのように変わりましたか?より内側とつながる感覚がありますか?

私とでも、他の先生とでも、このような学びの道を選ぶことを決意したら、きっと次から次へと移っていくよりも、ひとつのところに集中したこの学びの道の方がより多くのものが得られるようになるでしょう。ヨガとアーユルヴェーダの喜びは、このような教えの深さの中にあります。表面だけを引っかくことをやめれば、あなたが思うよりもずっと深い井戸が掘れるのです。

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